AKIHIRO
KANEKO

猛者物語PROJECT STORY / 03

従順だけが、正義ではない。 “猛者流”のプロジェクト マネジメント。

金子 明弘

2018年 中途入社

学生時代から自作HPの作成などを通じて、プログラミングの素地を作る。入社以前はアルバイトの傍らで職業訓練校に通い、20代後半でMOSAアーキテクトへ中途入社。サーバの設計構築・運用を中心に、フロントエンド開発など多岐にわたる案件で活躍する。顧客キーマンからの評価も高く、入社後3年でPLに昇格。以来、関わる分野を広げながらスキルを磨き続けている。

CHAPTER 01

二番手だった自分への、
唐突な打診。

「リーダーとして指揮を執ってくれないか」──金子が社長の嶋田から指名を受けたのは、進行中のアプリ開発のプロジェクトにおいて、そのリリースを半年後に控えたタイミングでのこと。現任のPLである吉田が別案件に専念することから、プロジェクトの“二番手”である金子に白羽の矢が立った。

金子は、嶋田から受けた言葉を脳内でゆっくり反芻する。「少し前の自分なら、緊張して手汗でもかいてたかもな…」と、今の状況を冷静に客観視する自分がいた。唐突な打診だったが、意外と気持ちの覚悟はできていたのかもしれない。返答を待つ嶋田に目を合わせ、「はい」と静かに、力強く答えるまでに時間はかからなかった。

CHAPTER 02

メンバー時代には、
見えなかった景色。

当時手がけていたのは、大手金融機関がクライアントとなる、ヘルスケアアプリ開発。高齢者の親を持つ40~50代をターゲットに、アプリ上で家族の様子が知れる、いわゆる“見守りアプリ”だ。フロントエンド開発は元請けのチームで、インフラ構築は自社で行なう、分担制での進行だった。

メンバー時代は主にサーバ設計を担当していた金子。慣れはあったが、PLに就くと見える景色は一変した。コードを自作する機会は減り、メンバーのレビューが中心に。コミュニケーションの主軸も社内から社外へと変わった。新規開発かつ分担制だったために関係者が多く、意思伝達や調整にも苦労する。

…思えばプロジェクトの開始直後、アプリの多機能化を求めるクライアントに対し、開発コストやリソース、ユーザビリティなどの観点から取捨選択を進める、元PL・吉田の姿を目にしていた。メンバー時代にはわからなかったPLの苦労。「教わったこと、沢山あるはずだよな…」金子は円滑なプロジェクト進行のため、過去の吉田の仕事にヒントを探す。

CHAPTER 03

“炎上”からの教訓。

──吉田との出会いは、入社1年目に遡る。金子の初案件は、納期目前にクライアントからの仕様変更が入り、いわゆる“炎上”する事態に。吉田は当時もPLを担っていた。現場が混乱する中、印象に残るのが吉田の顧客対応だ。「ここまでの仕様変更には応じるが、ここからは対応できない」と、すべきことだけでなく“できないこと”も明確にし、臆さず伝える。リーダーとして毅然と舵取りをする姿がそこにはあった。

当時の吉田を、今の自分の姿と重ねてみる。進行に大きな問題こそないが、実態はなりゆきで進めている部分も多い。単に要望を受けるだけでなく、新たな着想や改善策など、一歩踏み込んで提案する必要性を痛感する。その日から、金子のプロジェクトへ向き合う姿勢は変わった。インフラの責任者として、クライアントや元請けに対し、技術選定や機能追加、運用改善など、積極的に提案するようになったのだ。PLとして、大きく成長した瞬間だった。

CHAPTER 04

新たな
リーダーシップの形。

開発開始から約2年、PLに就いてから半年が経ち、無事にアプリはリリースした。クライアントからも安堵と喜びの声が届く。ユーザーの反響も好評で、現在も他アプリと連携した「高齢者向け詐欺防止機能」など、新たな機能追加が進められている。

目指すリーダー像が確立したことで、金子のマネジメントにも変化があった。これまでメンバーへの業務の差配は、安全重視で“できる人”に任せる傾向にあったが、今では各人の成長を見据えて依頼するように。挑戦の場を与えることでポテンシャルを引き出し、クライアントからの更なる評価に繋がる機会も増えた。

予期せぬ事態も多いIT領域のプロジェクトは、まさに未開の大海原。流れに任せる“従順”な舵取りでは、理想の航路は描けない。誰より先を見据え、時にリスクも覚悟で指示を出す。実践を通じて学んだリーダー像は、現在金子が更に幅広い領域のプロジェクトを指揮する中でも、失われずに活かされている。